02 台北市街、松山文創園、陶朱隱園

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 台北2日目は、老建築と新しい建築を歩いて巡ります。今日は、単独です。
 球状の京華城(ショッピングモール)の向かいにあるのが、台北機廠。日治時代の1935年から2012年まで使われた鉄道車両修理工場で、再開発待ち。鉄道遺産として整備されるかも知れません。
 松山文創園は、元の煙草工場の再開発。英文だと Cultural and Creative Park。
 敷地の北東に建つのは2013年竣工の台北文創大樓。基本設計は伊東豊雄建築設計事務所、施行は鹿島。手前は1-5号倉庫。
 工場と倉庫の間には運搬路が通じています。
 工場の内側は庭園になっています。
 『松山煙草工場は1939年10月より1,200名の工員により生産を開始している。松山煙草工場は台湾における現代的な工場の先駆であり、同時に台湾最初の煙草専門工場であった。「工業村」の概念を用い、工員の福利厚生を重視し工場内に宿舎、公共浴場、医療施設、託児所などの設備を擁し、総面積は18.9864エーカーの大工場であった。建築様式は日本の現代建築の特徴を備え、水平視線を強調し、ガラスや銅釘などの特注建材を多用した簡潔かつ優雅なものであった』(Wikipedia)
 元の託児所。
 次いで、建設中の陶朱隱園。富裕層向けの高層住宅で、熊谷組の現地法人 華熊營造股份有限公司が建設中です。
 完成すると、こうなる予定。
 まだ捻りが足りないので、完成したらまた来よう。
 午後は、林森公園の鳥居。戦後、大陸の軍民の避難所となり違法建築に埋没。1997年二二八公園に移設、2010年に元の地に戻されました。
 大鳥居は第七代台湾総督の明石元二郎、小鳥居は秘書官を務めた鎌田正威の墓前にあった。墓は三芝郷に改葬。
 夜は、2015年に阿里山からの下り道で知り合った蔡くんと彼女と一緒に肉鍋。蔡くんはその後自転車で日本一周、今は日系大手広告代理店で働いています。単身で吉備津神社などを巡った彼女の、スマホ待受け画面は「君の名は。」でした。
 歩き 15km。