台湾2015 第三天 嘉義~公田(阿里山公路)

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 嘉義まで台鉄の自強号で輪行。台北 7:00 - 嘉義 10:35 (598NTD)。
台湾の優等列車には自転車置き場があり、子供料金(半額)で折りたたまずに乗せられます。
 鉄道輪行なので一ヶ所だけ縛って輪行バッグに。純正のバッグは406用よりかなり大きめで、余裕有りすぎ。
 阿里山森林鉄路車庫園から北門駅。
 次いで檜意森活村(HINOKI VILLAGE)の「KANO故事館」へ。
 昼食は、台湾ではよく見かける「虱目魚」(サバヒー)。〆て135NTD。煮付けがうまかった。
 市街を抜け、省道18号(阿里山公路)を東に向かいます。八掌渓沿いのゆるやかな上りが、阿里山国家風景区のビジターセンターを過ぎると容赦無い急坂になります。
 山間に幾つか集落があるので、阿里山手前の何処かで泊まるつもりですが、省道と村が離れており「行って、宿が無かったら」と思いながら、ゆるゆる無策に上っていきます。茶屋で、身振り手振りで宿を聞くと 2km先とのこと。
 2km 上ると道路工事箇所がありましたが、ホテルも民宿も見つかりません。しばらく走り、茶葉店で尋ねると「このあたりに宿はない。しかし、山の上の寺に泊まれる。そこには日本人がいる」とのこと。
事情が飲み込めません。
いくつか質問(英語の会話)し、
「嫁いできた日本人ではない。居るのは、60過ぎの男性。彼は3ヶ月居る」
「彼は道教寺院で修行している。住職も日本語を話せる」
「日本人に教えてもらえといってるのでなく、そこに泊まれる」
女将が電話してなにか話しています。電話を代わると
日本語で「泊まれるので、来なさい」とのこと。(これ台湾人の住職だった)
店のご主人のトラックで、20%以上の急坂を、荷台に自転車を積んで送ってもらう。
と言う、予想外の展開になりました。
「天台山天朝南天聖宮」を建てたのは羅さん、修行しているのは大阪の村上さん。村上さんは仏教徒ですが、道教の神様は、それもOK。
羅さんは90歳。18歳の時に志願し入隊、マニラへ、その後インドネシアのハルマヘラ島へ移動。
「台湾や内地から来た日本兵は台湾人を信用していなかったが、関東軍は信頼してくれた」
「神様のお告げで食糧調達任務を休ませてもらったら、食糧保管場所が爆撃された」
「脱走して?、浜の沈没船へ脱げていたが、隊長にそろそろ帰って来いといわれ帰った。示しがつかないので、一晩椰子の木に縛られた」
「負けたのは海軍、陸軍は負けてない」等々
(自重した記憶はありませんが、羅さん、村上さんの写真は何故か無し。夢だったのだろうか)
 泊まった部屋は、四国八十八ヶ所の遍路宿と同じような感じ。夕食、朝食ともいただきました。村上さんのお話で、羅さんは謝礼は決して受け取らないとのことでした。
 39.07km、3:20、Av 11.4km