2025 オーストリア、イタリア、フランス

 ウィーン IN、ニース OUT。鉄道輪行でヨーロッパ3か国を巡りました。ウィーン、ドロミテから、2016年に上れなかった"Mont Ventoux" 再訪。夏のバカンスに先行する日程ですが、温暖化の進む中、暑いヨーロッパとなりました。
                              
  6.10 成田-ドバイ-ウィーン               
  6.11 ウィーン空港             27.1km   
  6.12 ウィーン市街             58.6km   
  6.13 ザンクト・ペルテン          58.6km   
  6.14 ザンクト・ペルテン滞留        19.0km   
  6.15 インスブルック            15.7km   
  6.16 (澳伊国境)- ビピテノ         54.9km   
  6.17 ライオーン              54.9km   
  6.18 プラン・デ・グラルバ         28.0km   
  6.19 カステッロ・ディ・フィエンメ     61.8km   
  6.20 ロベレト               88.4km   
  6.21 ベローナ               72.7km   
  6.22 トリノ                12.9km   
  6.23 キオモンテ              57.2km   
  6.24 (伊仏国境)- ブリアンソン       52.7km   
  6.25 ガップ                95.8km   
  6.26 ヴァル・ビュエック=メウージュ    50.0km   
  6.27 ソー                 55.0km   
  6.28 "Mont Ventoux" カルパントラ     68.1km   
  6.29 マルセイユ              35.9km   
  7.01 ニース-ドバイ                   
  7.02 成田                       
          (TOTAL)  967km    

6.11 ウィーン到着

ドバイ空港は、総2階のエアバスA380が並ぶエミレーツ航空の拠点ハブ。
ウィーン空港着。自転車は、ベルトコンベアでなく、壊れやすいもの専用口で受け取りました。
走り出してすぐ。走ってはいけない道を走り問題発生。事前に引いた紫色(B9)を走るはずが、ジャンクションでミスり、自動車専用道路のA4に入ってしまいました。
すぐ気づきましたが、日本の高速道路と異なり料金所のないフリーウェイなので、一般道へ簡単に戻れると思って走っていました。しかし、有刺鉄線が続いています。ICを目指して、路肩走行。
やり取りは割愛。日本のように、自転車(=無敵の弱者)扱いではありません。パトカーで護送されたので署へ連行の覚悟をしましましたが、一般道に入りそこで解放。
入国直後なのも情状酌量の要素となったと思います。解放時には、体調の確認も。ご迷惑をお掛けし申し訳ありません。
県道相当のB9を走り、事前に予約したホテルへ。
ウィーン郊外。古い建屋をリノベしたような宿です。ドイツからのボーイスカウト風の学生が多く泊まっていました。
JUFA Hotel Wien City、14,230円(83.96ユーロ)
宿の周りの建物群が妙にかっこいい。google レンズで調べると「この住宅団地は2013年から2014年にかけてヴィアー州からの資金援助を受けて建設されました」とのこと。
調布のぬりかべクライミングと違って、ボルダリングの練習になる。子ども達だけで挑戦していました。
夕食の買い出しに近所の食品スーパーへ。
今日の夕食。本番のレッドブルなど。
27.1km

6.12 ウィーン市街

午前の部(1:34)

午後の部(1:04)
9時すぎまで明るい夜の部(歩き)
カールス教会
ウィーン博物館
ウィーン博物館屋上からのアルベルティーナ近代美術館とウィーン楽友協会
宿は旧城壁跡地のリングロードに面した Hotel Am Schubertring
ジュニアスイート 29,378円(173.34ユーロ)
夕食の買い出し。うどんと寿司は買わず。
58.6km

6.13 ウィーン ~ ザンクト・ペルテン

朝の「リングシュトラーセ」(19C半ばに役目を終えた市壁と堀の趾に造られた環状道路)を走り、ウィーン国立歌劇場
マリア・テレジア像とウィーン自然史博物館。朝早いので、人がいません。
国会議事堂
ドナウ川を人・自転車橋の Steinitzsteg で渡り対岸へ。Steinitzsteg は、並行する自動車道の工事用に作られたものを転用したもの。
河岸で朝食。
Donauschleuse Greifenstein(ドナウシュレーゼ・グライフェンシュタイン)閘門の説明。
補給できるお店がまったくない中、牛乳の無人販売店がありました。0.5リットル 1ユーロ。
ザンクト・ペルテン駅到着。
翌日のインスブルック行き列車は満席。日曜日の指定乗車券+指定自転車券購入。114ユーロ(19,848円)、これは高い。予備日を一日失いました。 ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の構造は複雑で、路線+運行の国有持株会社で一部の列車は民営という感じか?
Hotel MUSE。朝食付き 12,882円。他も同様ですが、実際のカード支払いは 13,135円。
夕食は、スーパーLIDLで 1,021円
58.6km

6.14 ザンクト・ペルテン滞留

前夜の公園ではJAZZ祭り。
夜は地元の人達で大盛況でした。久しぶりに会う友達と、よもやま話に花を咲かせる。
宿の朝食。今回の初めての真っ当な食事です。レストラン付きホテルのオーナーは中国系で、夜のメニューには中華や寿司がありました。
土曜の午前は至る所で街角ライブやストリートピアノ
街角ライブ(0:59)
ストリートピアノ。親御さんが見守るなか、イマジン(0:41)
Hotel-Gasthof Graf 14,033円。連泊はせずに宿変更。チェックインが14時だったので選んだ駅前ホテル。電気ポットがなくプチ失敗か。
19.0km

6.15 ザンクト・ペルテン -(輪行)- インスブルック

(2:17)
日曜朝のザンクト・ペルテン
 乗車券には21号車とあります。乗車位置が不安でしたが、ホームに電光掲示されていました。実際は14両編成。2つの編成をつなげたかたちで、スイスのザルガンス行きとオーストリアのフェルトキルヒ行きです。
 フェルトキルヒで切り離し、7両が25kmくらい先のザルガンスまで行くようです。
 車内でWIFI使えます。自転車を乗せられるのは21号車と31号車、食堂車(半両)もあります。
08:08、定刻の11分遅れで到着。
 自転車はぶら下げるかたち。パニアバッグは外しました。ここで、パニアの語源をAIに聞いてみました。
 「パニアバッグ(pannier bag)」という名称の由来は、フランス語の「pannier(パニエ)」にあります。この単語は「かご」や「籠型の入れ物」を意味し、特に両側に取り付けるかごやバッグを指します。
  更に遡ると、「pannier」はラテン語の「panarium」(パンを入れるかご)に由来し、「パン=panis」と関係があります。
 中世ヨーロッパでは、ロバや馬の背中の両側に吊るす籠のことを「パニエ」と呼んでいました。
うねうねした穀倉地帯を走っていきます。
検札。自転車もチェック。
ドイツに入るあたり。
日本では観光列車のみとなった食堂車。試してみます。1等車両に併設。
カウンターで注文し、席に届けてもらう方式で、後払いでした。
11:44 定刻にインスブルック到着。
 Innsbruckは人口約13万人(チロル州最大都市)、標高:約575m。ドイツ語圏の文化、イタリアの影響も受けた多文化都市。
 15世紀には、マクシミリアン1世が滞在し、「黄金の小屋根(Goldenes Dachl)」などを建造。
宿は山岳リゾートのインスブルック・イーグルス(Igls)に取っているので、標高:約900mのリゾート地へ上ります。(1:12)
飛び出し君、いました。
アンブラス城公園。アンブラス城は16世紀にハプスブルク家のフェルディナント2世が整備した宮殿です。
放し飼いの孔雀がいます。ルネサンス・バロック期には高貴さの象徴として孔雀を飼うことが好まれました。
インスブルック・イーグルス(Igls)は標高:約900m、19世紀末からの避暑地・温泉地で冬季五輪のボブスレー、リュージュ、スケルトンの会場。
鉄道が走っていたので、駅へ行ってみました。元は、Mittelgebirgsbahn(ミッテルゲビルゲ鉄道)で、開通は1900年。現在は市電6号線として運行。路線距離8kmで、600mの標高差を上ります。
終点の線路の形状は、方向転換のループ。Insta360を取り出し待ち構えていましたが、両端に運転席があるらしく、そのまま下って行きました。
インスブルック・イーグルス(Igls)到着。
今日の宿は、1889年創業のスポルトホテル イグルス。
朝食付きダブルルーム、16,442円、今回のコスパNo1
13.9km